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「和を以て貴しとなす」が持つ負の側面?

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「和を以て貴しとなす」が持つ負の側面?
1週間近い出張の見返りではありませんが、昨日今日の2日間は娘とたくさん
遊ぶことができました。お互いに良い充電ができたと思います。
今回一週間出張する中でいろんな方々と話をしている間にかなり確信に近い状態で痛感したのが日本全体にはびこっている「和を以て貴しとなす」が持つ負の側面?でした。
ずいぶん古い本ですが、井沢元彦さんの著書に「逆説の日本史」という当時結構
流行ったシリーズがあります。独特の歴史観で日本の歴史に迫っていく作品ですが師の結論は日本が最も日本らしいといえるところが「和を以て貴しとなす」であると断言していました。
詳しくは著書を読んでいただきたいのですが、この特性は良い意味で取り上げられることがほとんどです。最近でいえば、東日本大震災の際に皆が争うことなく、協力しあう姿が世界中に感動を与えたというのが代表例だと思います。
ではどういうことが負の側面なのか?
そう思うに至った理由を説明したいと思います。
ドイツやイギリスをはじめとするヨーロッパの先進国には建物や窓の断熱性に対して非常に厳しい
規制が敷かれています。この理由に関して
・温度や湿度、カビ等といった室内環境が「基本的人権」ととらえられているから。
・ヒートショックを減らすことによって医療費の削減にもつながり、結果として国費全体では
損失が少なくなる
・エネルギー輸入量が減ることで、エネルギー安全保障の観点でも有利
・断熱改修することは産業が安い国に移行するのが常識の現代において、数少ない
内需産業であること。結果として景気、雇用、国家財政のすべての面でプラス
・個人個人、および各法人の家計、会計においても長期的には必ずメリットがでる。
=豊かな生活と国の発展につながる
マクロの視点で見た場合にはこういった絶対的に優れるメリットが存在するからこそ規制が敷かれる
ということになるのだと思います。国益、国民の利益を増大させることが、政治家および官僚の本分
であるとするならば、至極当たり前のことであるはずです。
ところが、日本においてはこのような至極当たり前のことがなかなか法制化されることがありません。
なぜなのか??
それを突き詰めて考えていった結果が
「和を以て貴しとなす」が持つ負の側面に行き当たったわけです。
いろんな基準を決めるにあたり、日本での制度の決め方は
制度を決める会議等に参加している
・さまざまなロビー団体
・関連する学会
・関連する企業
から代表者が出てくる中で決められます。
この中で当然さまざまな力学、権謀術数が働くわけですが、その結果
最終的には多数決なのかもしれませんが、参加している誰かの立場を決定的に壊すことなく
まとめられる人、および内容が「優れている」ということになり決められていることがほとんどなのでは
ないかと思えてならないのです。政治なんかはたいていこのパターンではないかと思います。
日本ではそれが「大人の作法」的に考えられ、原理原則を貫こうとする人間を「青臭い」と
あしらう傾向はないでしょうか?
これを聞いて「官僚、政治の世界はその通りだ!!」と思った方は注意が必要です。
今回窓メーカーの方と話をしていて、窓メーカーにおいてもまったく同じ構図が見られました。
窓メーカーが直接お金をもらっているのは工務店、もしくは流通店といわれるところです。
しかしながら、こういった会社は単に「経由」しているだけでお金の出どころは言うまでもなく
施主様であり、商品の利用者、およびその性能を30年以上享受するのも施主様です。
しかしながら、今まで窓の性能、ラインナップは「工務店がいう価格」「工務店がいう施工のしやすさ」
「工務店が要求する雨漏りのしにくさ」「工務店が要求するラインナップ」に基づいて考えられていました。
これも、原理原則を追及するのではなく、自分の周りにいる関係者間における
「和を以て貴しとなす」が行われた結果といって差し支えないと思います。
これらは一見平和な解決策に見えるかもしれません。しかしながら、この現象の根本に潜んでいるのは
一人一人の関係者の「思考放棄」に他なりません。
その結果
・エネルギー、CO”の無駄
・家計、法人会計、国家財政の無駄
・健康・快適性の無駄
という大きな無駄につながっています。
全員が「思考放棄」して安易な結論をとった後始末は国民全体への
浅く広い負担で賄われることになります。
それが窓という単一項目だけにおいてであれば
「浅く」ということでもいいかもしれません。
しかし、日本においてはこういったことが「年金」「教育」「福祉」
「エネルギー政策全般」「税制」といったほぼすべての面において
行われています。こうなってくると
日本人は「和を以て貴しとなす」から生じる負担を
国民全員で「深く広く」負担していることにになります。
日本が中東やロシアのように資源が大量にある国であればこういった非効率な
政策運営でもいいのでしょう。しかしながら、資源に乏しい日本においてこういった政策が
50年以上続けられてきたからこそ、日本人はいつまでたっても「豊かな生活」から
ほど遠いのだと真剣に考えるようになりました。
6時以降のサービス残業、ほとんど取れない有給分にプラスして、国民一人あたりのGDP
が現在26位だったと思いますが、そのうちの20位アップするくらいの上昇余地分は
こういった無駄を制度を決める人たちが最終的には「原理原則に基づいて決める」
思考にかかっていると思います。
たとえばドイツでも自然エネルギーが普及し始めたころは既存電力会社による
「自然エネルギーなどどうしようもない」という積極的な反対声明が強烈に存在した
ようです。しかしながら、最終的には「個人個人の思考」の結果、あるべき方向に
ベクトルが動きました。そして経済と環境が同時に成長できている今の状況があります。
もちろん、この原因は官僚と政治家にだけあるわけではありません。どれだけいい加減な政策
決定がなされても全く興味関心を示さない国民も悪いのはもちろんです。
しかしながら、小さいころから「考える」「議論する」ということを一切といっていいほど教えない
学校教育、家庭教育にもきわめて大きな責任があります。三つ子の魂百までと言いますが
小さいころに考える癖がついていないものを、大人になってから急に考え始めるのはなかなか
難しいことです。
この「考えない国民を育てる」という意味では日本の教育システムは誰の意向かはわかりませんが
一定の成功を収めていると思います。政治を行う側からすれば、これほど楽な状況はないわけで
古今東西、権力者の理想はここにあるということは歴史が示しています。
「和を以て貴しとなす」のメリットは残しながら一人ひとりがきちんと考えて行動する。
これは矛盾なくできることであると確信しています。しかしながら、日本でこれが多数派になるには
五十年以上かかるかもしれません。
しかしながら、もしそれができたなら日本は間違いなく世界でも最高の国および、国民になるということ
もかなり確信しています。夢物語かもしれませんが・・・

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