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日本の住宅の原型「箱木千年家」を見に行ってきました。

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お盆休みで久々に休みを満喫しています。
1日目は高校時代の友人たちが家族で押し寄せ、皆で
海水浴、子供たちも魚にクラゲに大はしゃぎでした。
2日めは姫路の妻の実家から岡山の親戚宅によってそこから
3日めは同じく県内の祖父母宅へ移動。91歳と、89歳の祖父母に
ひ孫の顔を見せに行って来ました。その日のうちに、海にしか連れて
いってないので、小さい頃によく行った川に連れて行ってやろうと
川にも連れて行きました。川に行ってまず驚いたのは黒い糸トンボが
そこら中に普通にいること。街中ではまずお目にかかることはできなく
なったので私の方が驚いていました。
忙しい身ではありますが、子どものうちにできるだけたくさんの自然に触れさせて
あげたいと思っています。
でもって今日ですが、以前から今瀧からも聞いていて、先日の岩前先生の
講演でも紹介されていた神戸市北区の「箱木千年家」を見に行ってきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E6%9C%A8%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85
箱木千年家とは、日本に現存する最古の民家だとされています。
推定では1300年前後の建物のようです。
岩前先生のお話で興味深かったのは
「歴史上の権力者による力の誇示を目的としたもので
ただ単に住むだけのものなら豪華でなくても構わない。
逆に一般庶民の住まいというのは入れものであり、土壁
農家の設置住居こそが日本の伝統的な住まいだと思われる」
ということでした。
たしかに、我々が日本の伝統建築と思い込んでいる、社寺仏閣や
桂離宮などは贅をつくしたものとなっています。それは柱と梁を
高度な技術で汲み上げ、立派な瓦を乗せ、畳と障子があって・・・
となっています。
しかし、そもそも畳というものが一般化するのは、江戸中期以降のことであり、
農村においてはさらに遅く明治時代になってからと言われています。
屋根に関しても私が小さなころは田舎に行くと茅や藁葺の家
ありました。
布団に関しても一般庶民が布団と呼べるようなものが使えるように
なったのは明治以降と言われているそうです。そんな厳しい環境の中で
今田舎にたくさんあるような築50年から100年くらいの和室の続き間が
ある入母屋住宅では寒すぎて暮らせなかったのではないかと思います。
今日見てきた箱木千年家では南に入り口と比較的大きな開口があるだけで
後の三面はほぼ全面極厚の土壁です。屋根に関しては厚さが40~50cm
も葺いています。この厚さ、パッシブハウスも顔負けです。
断熱材などなかった時代に自然の材料を使って極力快適に過ごせるように
考えられて作られていると感じました。少なくとも、ここ100年くらいに
建てられた、入母屋の見栄えだけが豪華で極寒の和風住宅とは一線を画すると
思います。
こんな貴重な箱木千年家ですが、一般庶民の住宅ということで、日本建築史の
授業で教わることもありませんし、文献もあまり残っていないようです。
しかも、日本でこういう形で残っているのはここだけのようです。
間違った形で「日本の伝統住宅」が刷り込まれてしまっている実務者の
目を覚ましてくれる力を持った住宅です。心当たりのある実務者はぜひ
見に行っていただきたいと思います。
私自身、見に行って本当に良かったと思っています。

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