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コンビニ弁当で手をかけるということの重要性を痛感

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どうしようもない時以外は基本的にはコンビニ弁当は食べない方です。
これは「絶対食べない」というほど堅苦しいものではないのですが、
食べていて全くもって「おいしい」と感じることがないからです。
そんな私ですが、昨日エコ村での昼食は仕方なくコンビニ弁当。
そして今朝の朝食も昨晩遅くに空いているのはコンビニしかないが
故のコンビニのパン。2日連続でコンビニ食?をとったのはかなり
久しぶりです。
コンビニの食事がおいしくないのはメニューどうこうではありません。
ご飯だろうが、パンだろうがおかずだろうが関係ありません。なぜなのか?
薬品が入っているからだろうか?はっきりとした理由は分かりませんが、
コンビニほどひどくなくてもファーストフードに近いファミレスにおいても
同じような感想を抱きます。
私の推測でしかないのですが、人の手や気持ちが入っているかどうか?
これが非常に大きいのではないかと思います。理由や根拠なんかは
全く分かりません。確かに個人が作る料理にはうまい下手があります。
とはいえ、ファミレスで900円のメニューをとるより近所のおばちゃんが
作る定食屋の600円のメニューの方がはるかに満足感があるような経験は
誰しもあるのではないかと思います。
新建ハウジングの三浦局長が先日一緒に講演したときに
「こんなもんでいいや病」というのをお話しており、非常に納得させられました。
「こんなもんでいいや」という妥協でつくられたものに囲まれて生活をし、そんなもの
ばかり食べていると「こんなもんでいいや」が伝染していろいろと堕ちていってしまう。
逆に丁寧につくられたものは気持ちを豊かにする。そういうことらしいです。
コンビニ弁当なんかはまさにこれだと思います。
住宅に関しても三浦さんは言及していましたが、メーカーが大量生産で作る
住宅にもはや担当者の情熱のようなものはほとんど感じられません。
これは衛生的ではあっても味わいがないコンビニ弁当と同じ現象では
ないかと思います。

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