「建設的なパラノイア」という発想に深く共感させられました。
数カ月前に購入し、随分前に読み終わった本ですが
ジャレド・ダイアモンド博士の「昨日までの世界 上下巻」
があります。
正直、「銃・病原菌・鉄」や「文明崩壊」と比べると読み応えという点では
負けてしまうのですが、あらゆる専門分野に精通した博士が何年にもわたし
世界中の原住民との共同生活の中から経た「本来の人間の生活スタイル」
は文明社会に生まれ育った我々にとっては驚かされることがたくさんありました。
その中でも最も印象に残ったのが
「建設的なパラノイア」という考え方です。
パラノイアを調べると「強固で体系化した妄想(もうそう)が持続するものをいいます。
妄想の内容は被害妄想、誇大妄想、恋愛妄想などいろいろ」とあります。
完全に精神的疾患として表現されるマイナスの言葉ですが、それに「建設的な」という
肯定表現が追加されているのがポイントです。
現代社会では時には無謀な挑戦が賞賛の対象になることがありますが、伝統社会では危険
を感じたとき即座に逃げることを恥ずかしがらないそうです。狩りにおいても、男の強さを
誇示するようなリアクションは示さないそうです。
著者が大木の横で野営しようとしたがそれを絶対に受け入れなかったニューギニア人のエピソードを
紹介します。著者は、こんな枯れてもいない大木が倒れるなんてありっこないと思ったそうですが、
その後彼は毎日木が倒れる音を聞くことになります。たしかに、木が倒れるなんてことは珍しい、
確率の低い事象です。しかしニューギニアは木だらけ。1000分の1の確率しかない事も、頻繁に
繰り返されれば「当たる」可能性は高くなります。伝統的社会の人々はこのことを身に染みて
わかっているそうです。我々文明社会であれば、抗生物質、病院、ギブス、手術、医者といったものが
すぐに手配できますが、非文明社会においては切り傷ひとつ、骨折1回でも一生涯つきあわなければ
ならない障害、もしくは激烈な痛みとつきあっていかなければならないからです。
こういった異常なほどの注意深さを、著者は「建設的なパラノイア」と呼び賞賛しています。
彼らは偏執狂的に安全にこだわるが、それは無駄ではなく、社会を生き延びる上で必要な建設的
努力なのだ、というわけです。
私も避けられるリスクは極力避けながらするべき挑戦はできるだけチャレンジしていこうとするタイプの
性格ですが、「建設的なパラノイア」という考え方を知ることができたのは大きな収穫でした。