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こだわるも執着しない生き方

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今日は朝から面接、昼からはリクシルの部長クラスの方が
3名も来て下さって6月、7月に大阪、京都で行う講演について
打合せをしました。
このように声をかけていただけたということは先日の東京講演が
失敗ではなかったんだとちょっとホッとしました。
これ以外にも、7月にはリクシルの北関東からも講演依頼が来ています。
なんだかリクシルさんにはいろいろとお世話になりそうです。
今日のテーマは「こだわるも執着しない生き方」です。
3.11以降議論があまり得意ではない日本人の間でも議論
する機会が多くなったように思います。
そんな中で自分の考え方にこだわるというところまではいいけれど、
こだわりも度がすぎると執着というものに変わってしまうということが
気になりだしました。
例えば、原発に関する議論です。一旦反対派になると自分と同じ方向の
考え方の本や、ネットでの情報ばかりに目をやるようになり、反対意見の
本などには目もくれなくなるといったことがあげられます。
こうなってしまうのは「自分はこの考え方が好きだ」もしくは「きらいだ」という
ことに始まり、それ以降、その方向性にそぐうものにしか目を開こうとしなく
なることが原因であると思います。
私は環境面では反原発派の飯田哲也さんの考え方に賛同しています。
しかし、経済面では池田信夫さんの考え方が好きです。
しかし、池田信夫さんは飯田さんのことを存分に批判しています。
どちらも、私など及びもしないほどの知の巨人です。猛烈な読書家でもあります。
原発反対だけが全てとなり、他には目もくれないとなると、「池田信夫は間違っている」
となってしまいますが、なにに重きを置くかによって導かれる結論は変わってきます。
ちょっと前に流行ったサンデル教授の白熱教室ではありませんが、多くの事柄に
おいて完全に白黒つけられることばかりではありません。そんなとき、常に
「自分は間違っているかもしれない」と思える心、「とりあえず反対論の文献にも目を
通してみよう」という柔軟さは何歳になっても持ち続けたいと思います。
これは自分が設計をやっていく上でも常に気を使っています。今までこれが
正しいと思っていても、間違っていたのであれば素直に認める。より良い方法が
見つかったのであれば改良していく・・・。いつもそうありたいと思っています。
しかしながら、一票の格差のような誰がどう考えてもおかしいことがらもあります。
こういったことに関していろいろと言い訳を並べて正当化しようとする人がいます。
これは自分でもなにが正しいのかわかっていても今現在の立場や既得権益への
執着から逃れることができないでいるんだと思われます。こういうことは当の本人と
その取り巻きの人だけが得をし、社会全体では大きな損失となります。こういうことに
関して、日本人はもっと怒るべきではないかとおもいます。
こだわるということはいいことではありますが、こだわるが故に盲目となり
それが執着となるような生き方はしたくない。
私も端的に考える癖があるので、これから年を重ねていく中で
いつまでも柔らかさは持ち続けたいと思い
「こだわるも執着しない生き方」という考えを書いてみました。

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