「源流主義」でありたいと思う。
今日は先週に引き続きですが、建築士会による姫路での講演を行いました。
事前予想では少ないはずだったのですが、蓋を開けてみると30名ほどの方が
来られ、部屋はいっぱいになりました。また、最後の質疑でも熱心な質問が多く
充実した講演となりました。
今日のテーマは「源流主義」この言葉を初めて知ったのは忘れもしない1989年の
ことです。今から23年も前の話です。引き算すると14歳だったことになります。
当時いつもの如く新聞を読んでいるとトヨタの初代セルシオがデビューするということで
大々的に一面広告が出ていました。そのときのメインテーマが「源流主義」でした。
要するにこれは女性に例えるなら
「お化粧できれいに見せるのではなく素肌をきれいにすることこそ王道である」
みたいな考え方です。
車で言うなら静かな車を作るなら防音材で対策する前に静かなエンジンを作ろうと
すること。
乗り心地をよくするのに、あとでサスペンションの微調整で調整するよりも
最初の基本設計の時点で前後の重量バランスを良い設計とすることなどがこれに
あたります。
当時こういった感じの文章だったと思いますが、読んだ時に中学生ながらにビビッと
きました。(幼稚園の頃から猛烈な車好きだったので)
家に例えるなら断熱性の悪い家を作って暖房器具を大量に設置し、その電気代を
補うのに太陽光発電を載せる・・・。今のスマートハウスの流れはまさにこの方向性です。
この方向性を最近さんざんけなしていますが、私がこういう考え方が大嫌いなのは
この源流主義という考え方に非常に強い共感があるからです。
源流主義は言い換えると「素性が良い」とも言えるように思います。
住宅の場合、断熱性が高く太陽の日射を上手に制御すれば十分素性がいいわけで
ほんの少し暖房をするだけで十分に快適になります。
女性に例えるなら肌が綺麗であれば化粧しなくても美しい、もしくはほんの少しの化粧でも
十分に美しい、逆にいうときれいな上に厚化粧しすぎると肌の美しさが損なわれるとすら
いえるかもしれません。
私は住宅に限らず、車、電化製品なども大好きですが、昔の日本とは異なり最近の
日本の製品はこの源流主義を忘れたようなものづくりが横行しているように思います。
その結果、余計な機能はたくさんついているのに、全く欲しいと思わせない。
また、買っても大きな満足感が得られない。さらには、長く使い続けようと思わない製品が
増えています。
日本車においてそれは顕著であるといえます。車の基本は言わずとしれた
「走る」「曲がる」「止まる」ですが、その部分がおろそかになりながら、
「自動開閉ドア」「カーナビ」「パワーシート」などの備品は世界一充実しています。
最近ではこの傾向を反省していからか86やBRZといった源流主義といって差し支えない
車がちらほら見受けられるようになりました。
こういう車は当然の如く売れています。今頼んでも1月になるそうです。今のスポーツカー不況の
時代においては驚異的です。
ということで、話がいろいろとそれましたが、自分が設計する上においてはこの
「源流主義」の考え方をいつまでも大事にしたいと思っています。